こんにちは、Oooh事務局です。
前回、旅行記第1弾としてカルナック神殿に関するレポートを掲載しました。
(まだ読んでないという方はこちら>【旅行記vol.1】世界最大の神殿、カルナック神殿へ)
続く第2弾は、新王国時代にカルナック神殿の副神殿として建てられたルクソール神殿をご紹介。
副神殿とはいえど、そうとは思えないほどのスケールを誇るルクソール神殿は、
巨大なオベリスクややファラオの像、壁面に刻まれた神話や儀式のレリーフが壮麗な雰囲気を醸し出し、訪れる者を圧倒します。
(残念ながら今回は見ることが叶いませんでしたが)夜にはライトアップされた姿を楽しむこともでき、神殿全体が幻想的な光に包まれます。
(写真:正面から見たルクソール神殿)
まず目に入るのは、空に向かって伸びる1本のオベリスク!
チケット売り場を通って入場すると、すぐに見えてくるのが、ラムセス2世の像やオベリスクで知られる第1塔門。
ガイドブックで見たthe ルクソール神殿の光景をいきなり目の当たりにし、テンションが上がります。
神殿が左右対称の構造をとっているなか、やはり目につくのは向かって左側に1本しか残されていないオベリスク。
ここにはもともと2本のオベリスクがありましたが、右側のオベリスクはフランス王に献上され、
現在はパリのコンコルド広場に飾られているのだそう!
オベリスク贈呈に関する話は諸説あるようですが、一説によるとフランス側がオベリスクのお返しとしてエジプト総督に送った高級時計はすぐに壊れてしまったのだとか。
そのため現代のエジプト人の間では、「動かない時計と引き換えに、オベリスクを持って行かれた」として、少し皮肉交じりに語られることもあります。
(写真:1本のみのオベリスク)
神殿の上にモスク!?
ルクソール神殿は、19世紀頃までその遺跡のほとんどが砂に埋もれており、神殿の最上部だけが地上に露出していた状況でした。
その結果発生したのは、神殿の上にモスクが建てられるという何とも興味深い事態!
12世紀頃建てられたとされるアブー・ハッジャージ・モスクは今でも残されており、
私たちは神殿建築とイスラム建築が共存する唯一無二の風景を楽しむことができます。
発掘が進むにつれて神殿全体が掘り下げられたため、かつて地表レベルにあったモスクは今では神殿の高い位置に「張り付いた」ように見えます。

(写真:第1塔門の上に建てられたアブー・ハッジャージ・モスク)
頭の落とされた像が並ぶ列柱室
その後、巨大な列柱が並ぶ空間に足を踏み入れると、ふと視線を奪うものが!
柱の間に並ぶ立像に近づいていくと、いくつかの像が“頭のない姿”のまま静かに佇んでいるのです。
実はこれらの像、長い歴史のなかで偶像崇拝が禁止されていた時代に、意図的に頭部だけが削り落とされたものなのだそう。
当時は「人の姿を象った像」が宗教的に避けられ、神殿の壁や列柱の間に立つ像も例外ではありませんでした。
かつての崇拝対象だった像の胴体だけが並んでいる光景は、エジプト史の複雑な変遷を物語る痕跡そのものです。
(写真:柱の間に並ぶ頭の落とされた像)
(写真:修復され元通りになった像)
仲睦まじいツタンカーメン夫妻の像
次に目に留まったのは、かの有名なツタンカーメンと、王妃アンケセナーメンの姿。
ラムセス2世の巨大な像が並ぶ神殿のスケールのなかで、この小像の親密さはどこか異彩を放っています。
特に印象的なのは、像を後ろから見たときにわかる、王妃がそっと夫の肩に腕をまわしている表現。
古代エジプト美術では、王と王妃が並ぶ像こそ多いものの、ここまで寄り添うような仕草は決して一般的ではないのだとか。
あまり長い治世ではなかったツタンカーメンですが、こうして残された二人の姿には、王としての威厳よりも
夫婦としての自然な親しさが静かに息づいており、見る者の心をあたたかくしてくれます。
(写真:正面から見たツタンカーメン夫妻の像)
(写真:後ろから見た夫妻の像)
微かに残るキリスト教会の気配
列柱室を抜けると、石壁にかすかに残る色彩。
目を凝らすと、古代のレリーフの上から描かれた、キリスト教の聖人たちの姿が浮かび上がります。
かつてローマ帝国からコプト教の時代にかけて、神殿そのものが教会として使われていた時期がありました。
そのとき描き足されたのが、今もかすかに残るフレスコ画なのだそう。
古代エジプトの神々の姿に、中世の祈りが静かに重ねられたこの小さな壁画は、
この神殿が長い歴史のあいだ、さまざまな信仰を受け入れてきたことをそっと物語っています。
(写真:微かに残るフレスコ画)
旅行記第2弾、ルクソール神殿編はここまでです!
最後までご覧いただきありがとうございました。
複雑な歴史を感じられるルクソール神殿、皆様もぜひ行ってみてくださいね!



